新・八十里越 新しい物語の始まり

「新・八十里越」

新しい物語の始まり

越後と南会津。隣接していながら高い山々に隔てられた両地域の歴史は、治承四(一一八〇)年の高倉宮以仁王の「八十里越伝説」まで遡ることができます。時空を超えた令和の世に始まる、新しい物語「新・八十里越」。最新の土木技術を駆使し、環境に配慮しながら進む工事では、11本のトンネルや10本の橋梁が着々と作られています。過去と現在、未来をつなぐ夢の通い路は越後と会津を潤し、人や物、情報が行き交うだけではなく、これまでになかった観光ルートを生み出すことでしょう。さあ、一緒に新しいページをめくってみませんか。

時代の変遷

 明治二十七(一八九四)年に完成した大工事により、新潟と南会津の交流が復活しました。吉ヶ平には木賃宿など四軒もの旅館が営業し、いずれも繁盛したと伝えられています。しかし大正三(一九一四)年に現在の磐越西線が全線開通し、人々や物資の輸送は八十里越を迂回する鉄路へと移行。人馬の行き来が絶えた八十里越は荒れ果て、巨木が倒壊する有様に。あれほど賑わった街道は、人がようやく歩行ができるほど衰退してしまいました。
 昭和四十年代に入ると日本列島を縦横に結ぶ道路網の建設が叫ばれ始め、太平洋と日本海を結ぶ幹線ルートのひとつとして、再びこの峠道が見つめ直されます。地域の運動などが実り、昭和四十四(一九六九)年十一月に閣議決定、四十五(一九七〇)年四月に新潟市を起点として福島県いわき市に至る全長254.4㎞の、本州を横断する国道289号線に昇格しました。
 峠道から県道へ、県道から国道へ。一時期は獣道の様相を呈するまでに荒廃した八十里越が、新たなルートとして蘇ったと言えるでしょう。

国道289号線の概要図。険しい地形を縫うように道路を繋げる(資料提供:国土交通省  北陸地方整備局  長岡国道事務所)

国道289号線の概要図。険しい地形を縫うように道路を繋げる(資料提供:国土交通省 北陸地方整備局 長岡国道事務所)

開通に向けて

 国道として認定された国道298号線でしたが、県境部分の19.1㎞の区間は五十嵐川、叶津川を挟む越後山脈のほぼ中央に位置しており、標高1000〜1500m級の山々がそびえる険しさや豪雪などの理由で、なかなか整備が進んでいませんでした。
 国土交通省・新潟県・福島県が「通行不能区間」の解消を目指す改築工事は昭和六十一(一九八六)年にスタート。11本のトンネル、10本の橋梁建設という大工事が進められ、困難を極めたこの国道整備事業もいよいよ佳境に。全面開通という歴史的な瞬間がもうすぐやってきます。
 なお計画区間は越後三山只見国定公園、奥早出・粟・守門県立自然公園内を通過しており、豊かな自然環境に位置しています。道路整備にあたっては自然環境への影響を把握し、必要に応じて適切な保全対策を講じる必要がありました。
 平成九(一九九七)年に設立された「八十里越道路環境検討委員会」の指導や助言を受けながら、慎重に調査や工事が進められています。

期待される効果

期待される効果

■通行不能区間の解消
 車両の通行ができなかった区間が解消されると、新潟県央地域と福島県南会津地域がぐっと近くなります。
 これまでは、高速道路(北陸道・磐越道)と国道252号を利用して約157分、国道252号で迂回して約117分かかっていましたが、八十里越を通る国道289号を利用すると所要時間は約79分に。距離も時間も大幅に短縮されます。
■地域間の連携・交流の深化
 古くから街道を通じて交流のあった三条市、只見町、南会津町。距離と時間の短縮により、連続した地形や歴史、文化の魅力をより深く楽しめるようになります。さらに「八十里街道」という新しい観光スポットが生まれます。
■救命救急体制の向上
 福島県只見町には総合病院がありません。三条市には救命救急医療を提供する地域の基幹的な病院ができました。全線開通により救命救急体制が飛躍的に向上することが期待されます。

新・八十里越 新しい物語の始まり

八十里を
歩き、守り、
次代に伝える人

新たな「八十里越」が長い時間をかけて形になる中、いにしえの八十里越を歩き、守り、伝え続ける人がいます。八十里倶楽部の代表であり、NPO法人「しただの里」理事長の大竹晴義さんです。

山の向こうには何があるのだろう

 大竹さんは、八十里越の起点に近い八木ヶ鼻の麓で生まれ育ちました。幼少時は「高い山の向こうには何があるんだろう」と想像し、父がなめこ採りで遭難しかけた折には「八十里越は怖い」と思ったそうです。同時に、「山は『山』『岳』と書くのに、八十里越は『越』だ。山とも岳とも違う『越』って、なんだろう?」という疑問も抱くようになりました。
 「子供の頃は単純に、山を越えたら鶴ヶ城があると思っていたんです。でも、そこまでの道は険しく厳しい。新潟と会津の歴史を調べるうちに河井継之助を知り、司馬遼太郎の『峠』を読んで一気に八十里越への関心が高まったんです。三条市は城下町ではないので、知らないことばかりでした」
 下田消防団員となった大竹さんは、国道289号線〜空堀〜吉ヶ平の山岳遭難訓練に参加します。地元の人と一緒に山道の草刈りボランティアをする機会もあり、地域のことを知らないのは恥ずかしいという思いがますます強くなって独自に調査を開始。過去の文献を調べ、お年寄りを訪ねて昔の話を聞くうちに、八十里越を介してさまざまな人と物、文化の交流があったことを知り、八十里越の整備にさらに力を尽くすようになっていきました。

草を刈りつつ歩く、歩く

 山に分け入り、背丈を越す草を刈り払いながら歩くたび、この過酷な山道をどんな人が歩き、どんなものが運ばれ、越後と会津の人たちがどんな交流をしたのかに関心が広がっていきました。
 「かつての八十里越は、会津藩や幕府によって物流を制限されていた時代もありました。しかし飢饉となれば、越後から救援米が運ばれたり、相互に助け合う交流があったんです」
 戸板に乗せられた河井継之助が敗走したのは「天保馬道」であること、盲目の旅芸人、瞽女が歩いたのは「明治馬車道」…。さまざまな知識を得ながら、実際にその道を自分の足で歩いて、草を刈り続けました。
 道幅の広い「明治新道」ができると、年間1万8千人もの人が通るようになります。峠を越えたのは大工、石工、屋根屋、杜氏。農家の次男坊三男坊は、三条、下田、吉ヶ平で田植えをした後に八十里越を通って只見で田植えをしていたとか。行商の行き来も盛んになります。
 加茂からは反物の行商が山を越えました。薄手の絹織物とは違い、巻きが太い「太もの」と呼ばれた加茂縞、今では会津にしか残っていません。国の重要有形民俗文化財に指定されている「会津只見の生産用具と仕事着コレクション」の仕事着のほとんどが加茂縞なのだそうです。
 地道に調査を続けた大竹さんは、八十里越は、人と物、文化が行き交う生活道路だったと語ります。河井継之助記念館のある只見町の人々との交流も始まりました。
 「河井継之助だけではなく、戊辰戦争で敗れた長岡藩の藩主らも八十里越を通って会津へ逃げ延びました。只見の人たちは彼らをかくまい、決して口を割らなかったそうです。只見町の旧家には今も、見事な絹織物が残っています。かくまってくれたお礼だったのかもしれませんね」

美しいブナ林に囲まれた峠道/鞍掛峠へ向かう路形が薄っすら見える/草刈りボランティアで環境を整備

右:美しいブナ林に囲まれた峠道/左上:鞍掛峠へ向かう路形が薄っすら見える/左下:草刈りボランティアで環境を整備
(写真提供:大竹晴義氏)

平成まで続いた人々の交流

 大正三(一九一四)年に、岩越(がんえつ)線(現在の磐越西線)が開通しました。大正十五(一九二五)年には大雨で水害が発生し、道が寸断されてしまいます。八十里を行き来する人も牛馬も消えてゆきました。会津の人から「越後の京」と呼ばれた吉ヶ平も衰退。大規模な工事も行われず、物流は衰退していきました。
 「それでもね、東日本大震災の前まで、新潟から行商で南会津へ通っていた人がいたようで、一度お会いしたいと訪ね歩いて、ようやく会うことができました」
 下田や栃尾の馬市などの産業だけではなく、車麩やニシン、かきのもと、棒鱈、エゴなどの食に至るまで、八十里越が結んだ文化は生き続けます。八十里越を通り、越後から南会津に移り住んだ人たちは、今もその地に根を張って暮らしています。これからは新しい交流の形が生まれてくるかもしれません。

『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる

写真中央の水平に走る『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる(写真提供:大竹晴義氏)

『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる

大竹晴義:昭和34(1959)年、旧南蒲原郡下田村八木前生まれ。三条市下田地区の地域おこし活動を行うNPO法人「しただの里」を設立し、理事長に就任。八十里越を整備する「八十里倶楽部」を運営する。八十里越初踏破は平成24(2012)年。

『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる

八十里倶楽部のメンバーと(写真提供:大竹晴義氏)

新・八十里越に高まる期待

草、整備、古道調査、看板取り付けなどを年十回のペースで行っています。
 最後のサムライと称される河井継之助を描いた映画『峠』、盲目の旅芸人・小林ハルさんの生涯を描いた『瞽女GOZE』には、八十里倶楽部のメンバー多数がエキストラ・スタッフとして参加。「八十里越フォーラム」も三条市や只見町での開催が続きます。
 新しい国道289号線の完成はもうすぐ。「八十里倶楽部」ではいにしえの八十里越をガイドできるボランティア養成に力を入れています。「美しいブナ林や鉱山跡など、旧道にはたくさんの見どころがあります。通しで歩くのは大変ですが、歩かないとわからないものがある。実際に八十里越を踏みしめることで、歴史が積み重ねられてできた八十里越の魅力を多くの人に知っていただきたいですね」

新・八十里越

※八十里越は一般登山道ではありません。中級者以上の方で、ガイドの同行が必要です。
 崩落や滑落の危険箇所が多数あります。また、明治中道・天保古道は廃道です。

『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる

鞍掛峠

越後平野を望む(写真提供:大竹晴義氏)

『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる

もっと詳しく知るために八十里越関連サイト

歴史を重ねてきた八十里越が現代に甦り、
新しい交流の時代を紡ぎ出そうとしています。
今まさに進められている工事の内容から
歴史、文化、地域の魅力まで、様々な切り口で
情報を紹介しているサイトです。

『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる
まぼろしの街道八十里越街道

〈越後南会津八十里越プロモーション事務局〉

歴史から新しい取り組みまで、
たっぷりと紹介しています。

https://www.hachijurigoe.jp/

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『明治新道』は斜面崩壊が進んでいる
Slow & Steady Shitada

〈三条市 経済部 営業戦略室〉

下田郷の楽しみ方や情報、
特集記事も満載のサイトです。

https://slow-and-steady-shitada.jp/

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国道289号線 八十里越

〈国土交通省 北陸地方整備局 長岡国道事務所〉

工事の工程や進捗を
詳しく知ることができます。

https://www.hrr.mlit.go.jp/chokoku/hatizyuuri/

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三条市公式観光サイトSANJO NAVI

〈三条市 三条観光協会〉

三条市のポータルサイトです。

https://www.city.sanjo.niigata.jp/sanjonavi/

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